安念 真衣子

安念 真衣子(南アジア・インド洋世界論講座)
「被災地の今―ネパール大地震から5か月を経て」

    2015年4月25日、ネパール大地震が発生しました。震源地ゴルカ郡の周辺や、相次ぐ余震の震源地となったシンドゥーパルチョーク郡、そして首都カトマンドゥでも大きな被害が出ています。死者は8800人を超え、負傷者は2万人に至り、行方不明者も多数のまま、5か月が経ちました。

    私の調査地であるカブレ郡は、首都カトマンドゥと、甚大な被害を受けたシンドゥーパルチョーク郡の中間に位置しています。調査村でも、土と石で出来た一般的な家は、全軒全壊となりました。地震のみならず、雨期である現在は、毎日深夜に降る集中豪雨により、地盤がゆるみ、地滑りが起きています。丘陵地を切り開いてできた段々畑には、人の背丈を超える程の大きな石が崖から転がってきています。また、トタン屋根の仮設家屋は、毎晩ひどく雨漏れし、感電、落雷、余震の不安とともに困難な状況が続いています。また、地震により、これまで豊富に溢れ出ていた湧き水がすっかり枯れてしまったり、支援物資の分配をめぐって不満が生じたりといった課題もあります。

    しかし一方で、物資が届けられたわけではないのに、元々ある竹、石、壊れた家の柱などを再利用して住まいを確保したり、少々時期は遅れながらも、例年通りの農作物を栽培していたりと、知恵と生活力の強さに驚かされます。

    ある朝、屋根が崩れた隣の家に、男性がのぼっていました。瓦を一枚一枚剥がして回収していきます。崩れていないレンガも取り置き、壊れたレンガや土壁はハンマーで崩していきます。屋根を支えていた木の柱は、釘を抜いて一本ずつ崩し地面に投げていきました。こうしてあっという間に、二階部分が解体されたのです。解体されたその家は二年前に建ったばかりの新築でした。新築の家を自らの手で壊していく有様を前に、地震がもたらしたどこへとも向けようのない悲しみと、目の前で現在おこなわれている解体の手早さに対する驚きを噛みしめつつ、私はカメラを向けました。「いったん更地にして、もう一度ここに家を再建するんだ」と、汗を流しながら屋根の上から両手を大振りにふって笑顔で応える姿は、どのような家が建つのだろうかと将来への希望を抱かせるのでした。
    【「アジア・アフリカ地域研究情報マガジン」第147号(2015年9月)「フィールド便り」より引用】
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