臨地教育研究による実践的地域研究者の養成

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科

第48号(2007年6月配信)「メルマガ写真館」

「夜の聖域」...................飛奈裕美(東南アジア地域研究専攻)

写真は、エルサレム旧市街にある聖域の一部です。この聖域を、ムスリムは「アル=ハラム・アッ=シャリーフ」、ユダヤ教徒は「神殿の丘」と呼びます。

写真中央の石の壁は、ユダヤ教徒にとって「嘆きの壁」という聖地です。紀元後70年にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものといわれ、「西の壁」とも呼ばれます。同じ壁がムスリムには「アル=ブラークの壁」と呼ばれます。「ブラーク」とは、預言者ムハンマドを「夜の旅」の際にマッカからエルサレムに運んだ翼を持つ白馬であり、預言者ムハンマドがブラークをこの壁につないだと伝えられることから、ムスリムにとっても聖地となっています。

壁の上、右側に見えるドームはアル=アクサー・モスクです。写真には写っていませんが、向かって左側に岩のドームと呼ばれる黄金のドームを持つモスクがあります。この2つのモスクを持つ聖域は、預言者ムハンマドが夜の旅でエルサレムに来て昇天した場所であり、イスラームの第3の聖地となっています。同じ場所がユダヤ教徒にとっても聖地であり、それは破壊された神殿があった場所であるからです。

エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの3つの一神教の聖地であるとよく言われますが、個々の聖域を見ていくと、ユダヤ教とキリスト教、イスラームとキリスト教の聖域は必ずしも重なっていません。ユダヤ教とイスラームの聖域が重なっている場所がこの写真に写っているアル=ハラム・アッ=シャリーフ/神殿の丘なのです。この事実は、パレスチナ問題の解決、とりわけエルサレムの領有をめぐる問題の解決を困難にしています。

作成日: 2007年●月●日 | 作成者: 事務局