臨地教育研究による実践的地域研究者の養成

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科

総合討論の報告(3/3)

文責:白石壮一郎(司会)

3. コメンテイターによる再コメント

■司会

さて、すでに討論の時間がのこり少なくなってきました。

さいごに、コメンテイターの方々にお聞きしようと思っていたことがあります。ASAFAS大学院生などのわれわれの世代は、さいしょから「地域研究」を専攻するコースに入ってきて、フィールドワークに行って、ということをやってきているわけですが、コメンテイターの方々は、農学ですとか、歴史学、経済学などの別の学問ジャンルのなかで研究してこられて、それから「地域研究」、あるいは開発研究や実践的な研究に関わってこられた方々です。そのようなみなさんから見て、私自身も含めた「地域研究」育ちの大学院生や、今日ご発表の方々の研究に関して、あえてなにか批判的なコメントをするとしたら、どういったものになるでしょうか。突然でもうしわけないのですが(笑)、ひとことずつ、お願いします。

■石田紀郎

根本的にはいまのニーズの問題にもかかわる話だと思いますが、さきほどネガティブ・データの話が出ましたが、私自身は、これも公にせざるを得ないと思っています。それを公開することによって自分がふたたび現場に入れないようになる事例というのも、いくつも経験しています。ですが、そんなときでも最終的には自分が研究者としてなにが言いたいのか、というところで勝負をかけないとしょうがない。その結果、現場を短期的には離れざるをえないことになったとしても、長期的にはそういう地域との付き合いは、続けられると思います。ですから、やはりそのときの現場の状況によって、判断をせざるをえないようなことがいくつもあるのじゃないでしょうか。今日、現場を離れざるをえない状況にあったとしても、10年後にまたその地域の問題に取り組めるようになるのかもしれない、そういう構えやスケールを研究者自身がもっていないと、非常にしんどい気分になるのではないか、と思います。

■峯陽一

私は文学部の歴史学専攻でしたが、大学院は経済学研究科でした。当時も今も、経済学研究科でアフリカ研究を志すような人はほとんどゼロだと思います。大学院生だったころ、京大のアフリカセンターを外から見ていて、羨ましいもんだなあ、と思っていました。時計台の裏の経済学研究科では小生は孤独な変人でして(笑)、荒神橋のアフリカセンターではみんなで揃ってアフリカにかかわろうとしているのが、非常にまぶしかったのです。カリブ海の島国の黒人インテリがアフリカ大陸に憧れるようなものでしょうか。

でも、研究というのは、やはりひとりでやるものですよね。理系の場合には実験をやったりすると共同研究も多いですが、最後は自分の頭で考えるしかない。しかし、私たちの研究の対象となるのは、別にアフリカの個人ではありません。アフリカの人々だったり、地域のエコロジーだったり、コミュニティだったりというわけです。

つまり、研究者は個人であるにしても、研究対象は集合的なものです。そうである限り、研究者の共同主観についても、少し自覚的に考えてみた方がいいのかもしれません。これから今回のシンポジウムのような試みが続いて、「開発とはなんぞや」とか、「アフリカとはなんぞや」とかいう問いが発せられ、アジアやアフリカの地域のフレームなり共通のイシューなりに対して、地域研究者の間で集合的なイマジネーションが生み出されてきても、いいんじゃないか、ということです。一方では、ひとりひとりの研究者が実存的なレベルで対象や問題に向き合っていくという営みがあり、もう一方では、討論を通じて集合的なイマジネーションが育っていく、しかもそれが常に再定義されていく、という方向ですね。今回のような実践的地域研究をめぐる議論が、そのきっかけになればと願います。必ずしも批判ではありませんが、そんなことも期待しております。

■重田眞義

峯さんがいま実存的、と言われましたけど、たしかに「現場でしか分からない」というようなことを基本にしてフィールドワーカーは仕事をしていて、「現場で考える」ということを基本にしてやってきました。だけど、「ほかに(現場のこと以外に)どういうことが分かりますか」、というような質問にたいしては、弱いところがあります。

で、司会の要求は、批判せい、ということなんですが、では少し「自己批判」をいたしますと(笑)、さきほど司会の言われた「地域研究のおもしろさ、強みでもあり、弱みでもある」というこの点について、どうしてそれを強みとして前面に出して行けないのか、というところが地域研究の弱みでしょう。フィールドワークの過程でみえてくる現実を当事者性と考え、共感に基づいて「理解」し、かつ政治的な立場性ということも意識しながら発言していくということを、あまり躊躇せずにしっかりとやっていきましょうという、そういう雰囲気をそれこそ地域研究が集合的なイマジネーションとして共有すれば、未来はある、と私個人は思っているんです。しかしそのためにはやはり地道にフィールドワークをしていくということが必要だと思います。以上、建設的な批判でした。このへんで許して下さい(笑)。

■司会

発表者、コメンテイターの方々、会場のみなさん、長時間にわたる議論におつきあいただき、どうもありがとうございました。

作成日: 2007年3月29日 | 作成者: 事務局