第5回
米の原種−野生イネ−の保全を考える
黒田洋輔 (東南アジア地域研究専攻・生態環境論講座)

 現在のコメは,約1万年もの月日を経て生まれた姿である。何も変化したのは米そのものだけではない。われわれが持つ習慣は稲作を抜きにして語れないほど心の奥に浸透している。もしそうならば人は米を,逆説的にコメは人を抜きにしては語りえないだろう。 稲作はおよそ数千年〜一万年前に長江の中下流域からアッサム・云南のあたりのどこかで始まったとされている。そのころのコメ−野生イネ−はどんなものであるのか,そしてどのようにして栽培されるようになったのだろうか。

 育種技術の発展によって近縁野生種の利用が進められている。近縁野生種は自然淘汰に打ち勝ってきたもののみが生き残っているという意味では,その土地に最も適したメカニズムを保有している可能性が高い。またDNA技術の進歩によっていろんなものが解読できるようになった。DNAには遠い過去のイベントまで刻まれている。いわばデータベースのようなものであることから遺伝資源と呼ばれるようになった。野生イネもそのような植物の一つである。

 私は,99年11月から翌年の6月までタイに滞在する機会を得た。ラボワークがメインだったが機会を見つけてはフィールドに出かけるようにしていた。そこで見てきたものは,野生イネは開発と相反して確実に減少を続けているということである。

 バンコクノイ。そこはバンコクの周りで野生イネがかろうじて生き残っている場所の一つである。この付近は運河が張り巡らされていて水分供給は安定している。ここは毎年のように観測が続けられているがその減少は著しい。水質の悪化や開発による埋め立てがその原因であろう。バンコクノイの中でもワット・タノー (写真1) 周辺はとりわけ価値が高い。そこは100m歩くと3種の野生イネを確認することができる。99年の11月に訪れたときのことである。ここでも開発の波は押し寄せていた。シャベルカーで土地を埋め立てていたのだ。お寺の敷地を拡大するためだという。お坊さんは言った。「お金をくれれば残しておくよ」。絶滅は間近である。

写真1:99年11月

 道路わきの溝は野生イネにとって格好の生育場所であった。しかし道路の拡張工事 (写真2:コンケーン) によってその生育場所はほとんど失われてしまっている。 タイの例に漏れず、東南アジア各地でも近年の急速な開発によって確実にその生息地を失っている。

写真2:00年12月

 野生イネの減少への懸念から保護プロジェクトは始動した。タイは王立プロジェクトで野生イネを自生地保全している。それはプラチンブリ県のイネ研究所敷地内 (写真3) にあり,現在も野生イネの生態に関する研究が進められている。そこはチャオプラヤデルタの深水地帯に位置し雨季には2mくらいの水が溜まる。

写真3:99年12月

 ラオスにも野生イネの自生地保全区 (写真4) がある。それはヴィエンチャンの中心街から約40km北のトンマン村に位置する。ラオス農業局と静岡大学との間で1994年からはじめられている。ここは周囲約400mの森に囲まれた場所にあり,乾季になると池は小さくなる。魚釣りの場として,水牛の餌場 (写真5) として村人と関わっているようである。ラオスでは野生イネの減少は報告されていないが開発は着実に進行している。保全策の先手を打つにはよい国である。

写真4:00年3月

写真5:00年12月

 イネといっても水辺だけの問題ではない。野生イネは森にも存在する。99年の12月中旬に,タック県でトレッキングツアーに参加したときのことである。車の能力を最大限に生かしてキャンプ場にたどり着いたときには頭と尻が痛くなっていた。一歩踏み違えると死に至るような岩肌を登ることもあった。日も終わりに近づき近くの滝で水浴びをしようと森の中を歩いている最中,「ここに野生イネがあるかもね」と冗談を言っていた。その矢先に「これ野生イネじゃない?」。しかし見れば見るほどそれはイネであった (写真6)。周りを見渡すと,山の斜面に広く分布し (写真7),近くに小川があり,周りにはタケの仲間が多く,木陰になっていた。後で調べて分かったことだが,それは森に住むタイプの野生イネで,約20種ある野生イネの中でも今のコメと縁が遠いタイプである。

写真6

写真7

 野生イネは,農耕地やその周辺の環境にむしろ適応している植物であって、その保全は、時には地域社会の環境開発と相反する。ゆえに生態学的な維持機構を解明するのは勿論、現地の人たちの生活との関わりまたは価値観などの社会学的および文化的な側面から見つめ,その中から妥協できる点を見出す必要があるのではないか。

京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科

s