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東南アジア地域研究専攻
第10回 玉田芳史:地域進化論講座

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「今は昔。1994年。タイのバンコクに半年滞在しました。


猛暑が少し和らぐ5月下旬のバンコク。チャラート・ウォーラチャットが国会前でハンストを始めたというニュースを新聞で読んで見物に出かけました。写真中央の人です。
空軍の技術畑の下士官から少尉になった後政界に身を投じました。下院議員経験があります。彼はハンスト政治家としてかなり有名です。1980年代には3回ハンストをしました。92年には4月にハンストを始め、翌月の政変の火付け役になりました。
94年には憲法の全面改正を要求していました。当時の政治状況から判断すると、とうてい実現不可能と思われました。ところが、直後に政治改革論が盛り上がり始め、3年後には憲法の全面改正が実現しました。現行の1997年憲法です。瓢箪から駒のような話です。タイ政治研究者としては先見の明のなさを恥じなければなりません。
タイでは1990年代に民主政治が定着しました。チャラートは92年5月政変と97年憲法という民主化にとっての二大事件で先鋒を務めたことになります。民主化の英雄の一人に数えられます。ところが、彼は2000年の上院議員選挙に首都で立候補して惨敗しました。そこで、2001年の下院議員選挙に首都でもう一度立候補しました。今度は資格なしとして立候補を認められませんでした。前年の上院選で、首都では再選挙が実施されました。彼はその再選挙で投票に行きませんでした。97年憲法では投票は義務となっており、その義務を怠ったという理由で資格を剥奪されたのです。
92年5月政変での手柄は都市中間層に奪われました。97年憲法はエリート主義的な内容になり、鳶に油揚げをさらわれた格好となりました。チャラートのような体力勝負派がさほど評価されないところに、タイの民主化の鍵があるのでしょう。
From: 玉田芳史  (地域進化論講座)