震災後のネパール

藤倉達郎


 4月25日の震災直後から多くのけが人の治療にあたったネパール陸軍の医師や看護士は、いまでも、蛆虫の湧いた傷口や、手足のない子どもが出てくる夢をよく見るという。手や足を切除する手術に何件も関わったせいだ。震災の約2週間後にネパールに入り、被害の大きかった僻地の山村で医療キャンプをしてまわった日本人医師のところに、ある日、女性がやってきて不眠と頭痛の症状を訴えた。話を聞くと、女性の夫が震災で家の下敷きになって亡くなったということがわかった。医師は無力さを感じたそうだ。大きな被害がでたバクタプールや、キルティプール近郊のパンガというところでは、人々は、夜、特に深刻な被害の出た地区を、ひとりで歩くことを避けるそうだ。「水をくれ」という死者の声が聞こえるからだという。
 大地震のほぼ2ヶ月後の6月26日から10日間ほどネパールを訪れることができた。ぼくがカトマンズ盆地や農村で出会う人たちは、落ち着いていて、明るくさえも見えた。がれきの中から、再利用できるレンガや、薪になる木材を選り分けている人たちが、通りかかったぼくに軽口を言って笑う。そのまわりで子どもたちが元気に遊んでいる。家が全壊してテント暮らしの友人一家が、訪れたぼくにおいしいご飯をご馳走してくれた。雨期がはじまろうとしていた。家が損壊した人たちの多くはビニールシートやトタン板を用いて雨を凌ぐ準備をしていた。多くの人が家を本格的に建て直すのは雨期が終わってからだろう。住宅再建のための資金援助や新しい建築基準についての政府の方針はまだ定まっていない。
 震災対応でまったくリーダーシップを発揮できていないと批判されていた主要3政党の政治家たちは、震災から一ヶ月が過ぎたころに突然、新憲法についての基本合意を発表し、秋までには新憲法を発布すると宣言した。政治家たちが「決断できる」ところを見せようとしたのだろうか。しかし突然加速した憲法制定過程は、西ネパール平野部の先住民族タルーをはじめ、さまざまな人による激しい抵抗を引き起こしている。
 震災の大きな傷と、政治的対立と、将来の不透明性のなかにあるネパールで、どのような人たちと、どのような関係を築いていけるのか、これからも模索しなければならない。 (2015. 8)