第1回
東北タイの村にて
加藤真理子 (東南アジア地域研究専攻・東南アジア地域論講座)

 2000年9月から東北タイの一農村に来て、村落の宗教を主に女性の実践から描こうと四苦八苦している。今(6月)は雨期。ぼちぼち耕耘機で田を耕す人が出始め、田植えの準備が始まった。

 ジャックが、朝から私の部屋の下で(高床式住居なので)待っている。私が降りていくと、「マリコ、今日日本とフランスのサッカーの試合があるよ。5時から。見るでしょ」。ジャックは、小さい頃ポリオに罹ったため、身体に障害を持っている。すでに30近いのだが、体は小さく、背骨はゆがみ、言葉も不自由である。農作業などの重労働はできないため、もっぱら水牛の放牧を仕事としていたが、金に困った両親が水牛を売り飛ばしてからは、やる仕事とてなく、ぶらぶらして過ごしている。そんな彼も他のタイ人同様、とてもサッカーが好きである。彼の家にはテレビがないので、あっちの家、こっちの家のテレビでサッカーを見ている。

 「今度の試合に、ナカタは出るの?」と聞くと、「ナカタは昨日ローマに帰ったので、出ないよ」と答えてくれる。ナカタのスケジュールまで、彼の頭に入っているようだ。彼は、就学前ポリオに罹ったため、学校には行っていない。文字は少しぐらい読めるようだが、本が読めるほど学習したことはない。しかしテレビのアナウンサーが喋ることを、逐一覚えているようだ。彼は、マンチェスター・ユナイティッド、リバプール、そしてJ-リーグの話を、私としたくてたまらない。しかし私にはナカタぐらいしかわからない。日本人が絡むサッカーの試合があると、彼はいつも私に教えてくれる。試合の日程、テレビ中継の時間、選手の構成、勝敗の予想など、彼の分析も含めて説明してくれてからこう言う。「日本人なんだから、日本人の試合を見ないと」。

 満月の日が近づくと、向かいに住むメー(母の意味だが、子どもがいる世代の女性につける敬称)・リーがやってくる。「マリコ、あなたは女なんだから、一人で町に行ったり、うろうろしたりしちゃだめ。お父さんが帰ってきてから、相談するのよ。それまで待ってちょうだい」と語気を荒げて私に言う。私にはなんのことだか、さっぱりわからない。回りの人は笑っている。私はただ「うん、お母さんのそばにいるよ。どこにも行かないよ」と言う。納得したメー・リーは、帰っていく。彼女は嫁ぎ先で精神的におかしくなり、夫はそんな彼女を娘とともに実家に送り返し再婚した。貧しい家庭であるため、娘は小学校卒業と同時に町に働きに出ており、ほとんど帰ってくることはない。初めてこの村に来たとき、私は突然「お母さんのところに帰ってきてくれたのね。嬉しいわ」と言う彼女に抱きしめられ当惑したことがある。世帯調査でも、あちこちに土地や家を持っていて、若い頃は有名な民謡歌手だったと語る彼女の言葉をフィールドノートに書き留め、崩れかけた古い家を眺めながら「これは・・・ちがうのでは・・・」と不安になり、私が下宿している家の人に訊いた。

 そんなメー・リーは、他から来た若い大学生などを見ると、自分の娘だと思って飛びついていく。私の場合長くいるので、私が日本人であることはすでに認知した上に、自分の娘だと思っている。自分の娘が日本人なんだから、今では自分自身も日本人だと思っているようである。

 私は、タイに障害者教育の普及に来たわけでも、障害者を研究するために来たわけでもない。ただ私は、彼らの中にいる私の位置、彼らとの距離を知りたいだけなのだ。

 下宿している家で、水頭症の子どもが生まれた。手術をしたので、これ以上頭に水がたまることはないが、すでに大きくなった頭を小さくすることはできない。脳に障害を持つようで、目は見えず、こちらの呼びかけに関係なく、機嫌がいいのか悪いのか、いつも叫んでいる。8カ月ですでに体重は10キロを超えたが、首は坐らず、私には抱くことができない。病院に入院していた時、医者が言った。「死んで早く生まれ変わるんだよ。」

 来世はあるのだろうか。

 私の部屋の下で、朝から夕方までこの子は寝ている。風が通って涼しいから。近所の人が来ては、「バク・フア(頭野郎)」と呼びかけ、「バク・フア」はそれとは関係なく、手足を動かし何やら叫んでいる。そして私は、部屋でお経を詠む。私には祈ることしかできない。

 パーリ語で書かれたお経を何度も何度も詠む。暗唱できるまで詠む。お経が、私の身体に刻印されるまで、詠む詠む詠む。身体に刻印されたお経だけが、私のフィールド証明。かつてここにいたことがあるという証拠とするため。

 ジャックに、2002年日韓共同開催のワールドカップのTシャツを送ることにした。それまでに、日本に帰らないと。

京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科