第2回
草の根のヒンドゥー・ナショナリズム
中島岳志 (東南アジア地域研究専攻・連環地域論講座)

 1992年12月、ウッタルプラデーシュ州アヨーディヤーにおいて「ラーム生誕の地をムスリムから奪還せよ」という掛け声のもと、先鋭化したヒンドゥーによるモスク(バーブリー・マスジット)の破壊が行われ、多数のムスリムが死傷した。この事件の起きたアヨーディヤーという町は、『ラーマーヤナ』に描かれる主人公のラームが誕生した地とされ、ヒンドゥー七大聖地のひとつである。『ラーマーヤナ』において、ラームはアヨーディヤーを都とするコーサラ国のダシャラタ王の長男として生まれ、魔王ラーヴァナからシーター妃を救出した後、このアヨーディヤーに戻り理想的な統治を行ったとされている。また、学問・芸術・武芸に秀でた才能を有したラームはヴィシュヌ神の化身とされ、多くの人々の信仰を集めた。しかし、ムガール帝国初代皇帝バーブルは、1528年、このアヨッディヤーの地にモスクを建設した。このモスク(バーブリー・マスジット)は、ラーム生誕の地に建てられていたヒンドゥーの寺院を破壊し、その跡地に建立されたと伝えられていたことから、ヒンドゥー・ナショナリストたちが、その聖地をヒンドゥーのもとに奪回すべきであるという声をあげ始めた。この動きは1980年代後半になって急速に拡大し、遂に1992年にモスクの破壊へと至った。

 このモスク破壊事件を主導したのは、VHP(世界ヒンドゥー協会)・RSS(民族奉仕団)を中心とする「サング・パリワール」に属する人々であった。 この事件によって大きな注目を集めた彼らは、インド内外で、偏狭なコミュナリズムを振りかざす「ヒンドゥー・ファンダメンタリスト」(ヒンドゥー原理主義者)と規定され、さまざまなメディアや知識人たちから強い批判を受けている。しかし、このRSSやVHPの活動に参加する人数は、年を追うごとに増えつづけ、彼らを最大の支持母体とするBJP(インド人民党)は、1998年に政権を奪取するに至った。さらにこの政権の首相にはRSSと深い関係にあるA・B・バージパイーが就任した。

 アヨーディヤーはウッタルプラデーシュ州の東部に位置する小都市で、ここを流れるサラユー川に添う形で町が開けている。町の中心から少し離れたところには鉄道の駅があり、州都のラクナウーからヴァーラーナシー方面に向けた列車に乗れば、このアヨーディヤー駅に約3時間で到着する。町並みは、聖地だけあって、ヒンドゥー寺院の数がすこぶる多い。町の中を歩くと、あちこちからマントラを唱える声が聞こえ、サドゥーの姿も頻繁に目にする。寺院や民家の壁のそこかしこに、ラーム神をたたえる言葉が書かれており、『ラーマ―ヤナ』にまつわる聖地であると言うことを強く実感させられる。しかし、このような聖なる雰囲気をたたえる一方で、町の中心を東西に幹線道路が通っており、日中は荷物を運ぶトラックや乗合リキシャー、バスなどが、大きなクラクションを鳴らしながらひっきりなしに走っている。

 1992年12月の事件の舞台となった「ラーム生誕の地」は、小高い丘の上にあり、見晴らしが良い。ここは事件以降、現在に至るまで警察の厳重な警備のもとに置かれており、周囲には鉄柵がはりめぐらされている。しかし、バーブリー・マスジットが破壊された跡地には、小さなラーム神を祭る祠が設置されており、荷物を預け、警官のボディーチェックを受ければ、参詣することができる。インド全土で人気のあるラーム神の生誕地とされる場所だけあって、ここを訪れるヒンドゥー教徒の巡礼者の姿は途切れることがない。  この「ラーム生誕の地」から東に歩いて10分ほど行ったサラユー川のほとりに、この事件に深く関わったとされるRSSの拠点がある。私は過去2度、ここのRSSのメンバーと寝食を共にしながら、彼らの日常活動の調査を行った。

 ここにはヒンドゥー寺院に併設される形で、彼らが設立・運営する学校がある。この学校には、30名ほどの生徒がおり、敷地内にある寄宿施設で共同生活をしていた。生徒の大半は10代後半から20代前半の若者であるが、中には52歳になる人もいた。彼らは、毎日この学校でサンスクリット語やヒンドゥーの古典、宗教音楽、ヨーガなどを学んでいる。  RSSの活動の中で、この学校での授業以上に重要視されるのが、シャーカーといわれる活動である。これは(1)「肉体訓練」、(2)「知的訓練」、(3)「対話」の3つの要素を柱として構成される活動で、毎日、朝・夕の2回、決まった時間に決まった場所で行われる。(1)の「肉体訓練」には、整列・行進、ヨーガ、武術、インドの伝統スポーツ、ランニングなどがあり、彼らといっしょになってこれに参加していた私は、毎回終ると汗びっしょりになった。(2)の「知的訓練」では、宗教訓話や独立運動の志士をたたえる話を指導者が語り聞かせ、全員でヒンドゥーの賛歌やマントラを斉唱する。(3)の「対話」では、指導者との問答や全員参加での討論が行われる。

RSSの訓練

 私はこのシャーカーに参加し、彼らと行動を共にするにしたがって、ここのメンバーとすっかり仲良くなった。そして、その過程で、彼らに対して持っていた先入観がガラガラと音を立てて崩れていくのをはっきりと感じた。私は日本でRSSに関する研究書・研究論文などを読み、この団体を「ならず者集団」というようなイメージで捉えていた。「排他的で偏狭なヒンドゥー原理主義者で粗暴な暴力主義者」というのが、これまでのメディア報道や研究を通じて流布している一般的な彼らに対するイメージであろう。しかし、私が接した彼らは、インドの同年代の若者よりも明らかに実直で心穏やかな人達であった。

 当初、私はRSSの活動の孕んでいる問題とその危険性を明らかにしようと意気込んで彼らに接近した。確かに、シャーカーをはじめとした彼らの日常の活動は、国家の利益のために献身する規律化された国民的身体を養成しようとする装置としての機能を果たしている側面や、インド国内のムスリムやクリスチャンを「分かち難い他者」として表象する側面を有しており、首肯し難い点が多い。しかし、彼らの純粋に神を希求し、「ダルマ」の観念に基礎付けられた倫理的・規範的生活をしようとする姿に触れるにつれ、ネガティヴなイメージでのみ彼らを捉えることの限界を強く感じた。彼らの行為は、公共領域における社会腐敗や汚職が蔓延するインド社会の中で、自己の存在論的意味を問い直し、宗教的倫理規範(=ダルマ)の包括性を回復しようとする重要な宗教復興運動としての側面を有している。

 今年の1月末日、グジャラートで大地震が起こり、多くの犠牲者が出たことは記憶に新しいであろう。この地震における救助活動や復旧作業にRSSの多くのメンバーが従事し、多くの成果をあげているとのインドの新聞記事を目にした。私が生活を共にしたアヨーディヤーのRSSのメンバーがそこに駆けつけたかどうかはわからないが、屈託のない笑顔で笑い話をし、時には宗教的倫理規範と奉仕の精神の重要性を、真剣な眼差しで私に語り掛けてきたあの青年たちが、自らの危険を顧みず瓦礫の中から人々を救出している姿が目に浮かぶ。

京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科