望月 葵

望月 葵(平和共生・生存基盤論講座) 「シリア難民として生きる――おもてなしと生存戦略の狭間で」

    ある夜ご飯を食べ終わると、ホストマザーが「明日お客さんが来るから私たちは買い物に行くけれど、あなたも来る?」と尋ねてきました。私はもちろん、と答えて出かける準備を始めました。今日は旦那さんも荷物係として手伝うようです。彼は髪を梳かし、アラブ人男性にとって外出時に欠かせない香水を身に着けていました。

    この一家はシリアの戦火からヨルダン・ハシミテ王国の首都アンマンに逃れてきたシリア難民で、現在はアンマン東部の住宅街に家を借りて暮らしています。シリア難民に関する調査を行うためにアンマンに来たのは良いものの、良い宿泊場所が見つからず困っていた私に「我が家ならベッドに美味しいシリア料理付きだけど、どう?」と、難民という大変な立場にいるにもかかわらずアラブ人ならではのホスピタリティを提供してくれたのが彼らでした。

    それから2か月間、私はこの家族の一員として暮らしました。「シリア料理は世界一美味しい。あなたが帰国するまでにすべてのシリア料理を食べさせてあげるからね」と初日にホストマザーが腕捲りをしていた通り、彼女のシリア料理は実に多彩で、旬の野菜たっぷりの滋味あふれるものでした。

    特に客人が来るときには、豪勢なおもてなしの料理が振る舞われます。彼らの家には頻繁にシリア人の友人や、難民支援に携わっている中で知り合った人々が客人として訪れていました。私が最初に訪れた時に振る舞ってくれて、それ以来私のお気に入りだったのが「マハシー・クーサ(ズッキーニの詰め物)」という料理です。クーサとはズッキーニのことで、ズッキーニの中をくり抜いて、米や肉を詰めてスパイスなどで味付けしてトマトスープで煮込んで作ります。

    冒頭の買い物の時も、マハシー・クーサを作るためにスーク(市場)に出かけてそれぞれ袋いっぱいの野菜を購入しました。買い物に行った翌日は朝から居間にシートを広げて、彫刻刀のような形状の刀で数十個のズッキーニの中身をくり抜いていきます。これが中々難しく、「失敗したら1つにつき1ディナール(155円程度)の罰金ね」とホストマザーに冗談めかして言われていたのにもかかわらず、私は早々にズッキーニに穴を空けてしまいました。その作業が終わると、今度は付け合わせの野菜を調理しました。ここまででゆうに半日が過ぎています。

    客人が来ると、このような料理の苦労を微塵も滲ませることなく、にぎやかな宴が始まりました。この日はシリア時代の日本人の友人が、はるばる日本から来たので、互いの家族や親戚の近況報告で会話が盛り上がっていました。ホストファザーによって私の失敗作のクーサも披露され、笑いを誘いました。

    たらふく食べて片付けのために台所に向かうと、先に洗い物をしていたホストマザーが友人に話しかけている声が聞こえてきました。「9月末にアオイが帰ると、宿泊してくれる人がいなくなる。仕事がない冬をどう越すか今から不安だ」。その言葉に私は動揺しました。私が払う宿泊費がこの一家の収入の一助となっていることは重々承知していたものの、誰かを泊めることが彼らにとって難民として生きるための生存戦略なのだということを改めて自覚させられました。

    彼らはとてもホスピタリティ溢れる人々で、毎日手間をかけた美味しい食事でもてなしてくれました。しかし、彼らがこのように料理に時間をかけることができるのは、他にすることがないという事実の裏返しでもありました。ヨルダンではシリア難民が正規の職に就くことは難しく、この夫婦はそれぞれ日雇いの仕事をして生活費と子どもの学費を捻出しています。一週間仕事がないこともざらである状況下において、彼らが人を家に招くこと、特に日本人である私や難民支援の関係者とつながりを持つことは、友人としての側面があると同時に生きる手段の1つという側面があるのだと痛感させられました。「もしシリアにいた頃なら、あなたを無料で泊めてあげられたのに」。食事会の後日、ホストマザーが私にぽつりと悲しそうに言いました。

    次にヨルダンに行く際にも、「また来てね」という彼らの言葉に甘えて再びこの一家の所に滞在したいと思っています。ただ、もしそれが叶うならば、いつかこの優しい家族と彼らの故郷シリアで再会したいです。
    【「アジア・アフリカ地域研究情報マガジン」第174号(2017年12月)「フィールド便り」より引用】
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