山田 奈緒美

山田 奈緒美(イスラーム地域論講座)
「『テロリストの巣窟』の今」

     グルジア東部に位置するパンキシ渓谷には、チェチェン人とルーを同じくするキスティ人という民族が暮らしています。第二次チェチェン紛争時、チェチェン武装勢力によって後方基地化されたためにロシアによる空爆を受けました。紛争後も、「テロリストの巣窟」というレッテルはなかなか剥がれませんでした。

     2014年10月下旬、私は、パンキシ渓谷の山の中腹にこじんまりと立つ塔を目の前にして、しばし呆然としていました。渡航前、ネット上でチェチェンの塔の写真を見ました。屹然と立つそのさまは、いかなる圧力にも屈しない、誇り高き山岳民族の精神を体現しているかのように思われ、私は強い憧れを抱きました。しかし、パンキシ渓谷の塔はチェチェンのものとは趣を異にしていました。キスティ人が移住してきたときに建てられたという石の塔は、それほど高くも大きくもなく、雑草に囲まれて見捨てられたように佇んでいたのです。私は失望にも似た寂しさを噛み締めていました。「テロリストの巣窟」に滞在して一週間、予想外の平穏過ぎる生活に胸を撫で下ろす反面、私は心のどこかで刺激を求めていたのです。

     山を下り、牧草地をうろうろしていると、後ろからピュウゥという口笛が聞こえました。振り返ってみると、小学生くらいの男の子が二人、にやにやしながら私を見ていました。「そっちは行き止まりだから、あっちに行きなよ。」大きいほうの子が言います。お礼を言って歩き始めると、その子たちも相変わらずにやにや笑いながら後ろからついてきました。どうやらメインロードに出るまで見送ってくれるようでした。彼らはこの牧草地を所有する人の子どもで、放課後になるといつもここで遊んでいるのだといいます。何が面白いのかよくわかりませんでしたが、笑い続ける彼らを見ているとだんだん気分が明るくなっていきました。

     別れる間際、大きいほうの子が妙に真剣な顔をしてどんぐりのような黄緑色の木の実を私にくれました。小さいほうの子がクックッと笑いをこらえています。「食べて」といわれたのでおそるおそる食べてみると・・・激苦で思わずゲッと吐き出してしまいました。それだけでやんちゃ坊主たちは手をたたいて大喜び。私も苦笑いを通り越して大きな笑みがこぼれました。絵に描いたような平穏。普段私が享受しているそれは彼らにとってどれほど貴重なものでしょう。平穏に倦み、刺激を求める自分の浅はかさが身にしみました。何がなくとも、彼らのこの平凡な幸せだけは続いてほしい。そう願う私を、柔らかな夕日を受けて佇むあの小さな塔が、温かく見守ってくれているようでした。
    【「アジア・アフリカ地域研究情報マガジン」第138号(2014年12月)「フィールド便り」より引用】
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