「知とともに豊かな時を」
(1998年7月)


 京都での生活に憧れていた。静かな寺の境内で哲学書を繙き、ゆっくり思索にふけることができるだろう。そう期待して、京都にやって来た。

 新しい生活は、刺激に満ちていて、私が安閑とした時空間にとどまることを許さない。私の所属する「連環地域論講座」は、「アジア・アフリカ地域研究研究科」の2つの柱である東南アジア研究とアフリカ研究の間に位置し、内部的には南アジア研究とイスラーム世界研究が同居する。当然のことながら、これまで触れあうことの少なかったこれらの地域の専門家と、日常的に接することになる。研究発表を聞いても、ヒンディー語やサンスクリット語、インドネシア語などの語彙が頻繁に出てくるから、自然とこれらの言語への興味がめばえる。こういう時に見つけたのが、東京外国語大学語学研究所編『世界の言語ガイドブック2(アジア・アフリカ地域)』(三省堂、1998年)である。日本語の五十音の配列はインド系の文字から来ていることなどが分かって、楽しい。
 地域にせよ、ディシプリンにせよ、分野の違う人たちといっしょに仕事をしていくのは、ある意味でしんどいことであるが、それを支えているのが、あくなき好奇心だろう。立花隆『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論』(文藝春秋、1995年)や船曳建夫『文化人類学のすすめ』(筑摩書房、1998年)のなかに収められた山口昌男のインタビューなどを読むと、幅広い好奇心を持ち続けることがいかにすごいことか、しかしまた同時に、それがいかに大変なことか、がよく分かる。後者の本のなかの松田素二「フィールドワークをしよう・民族誌を書こう」も、異文化理解の問題点を分かりやすく説いて興味深い。
 「連環」は関係性につながり、「地域」は場所に連なる。個人の自意識を超えた世界を純粋経験や場所として思想の根底においた西田哲学も、京都に来たらむしょうに触れてみたくなった。上田閑照の『西田哲学への導き 経験と自覚』(岩波書店、1998年)や『西田幾多郎を読む』(岩波書店、1991年)を手始めに読む。「物となって考え、物となって行う」という言葉に思わず立ち止まる。「私」が通常底の「私」ではない世界。こういう言葉のもっている深みに比べると、脇本平也『死の比較宗教学』(岩波書店、1997年)はいかにも薄っぺらでつまらない。広く調べたものを手際よく整理してみせてはくれるが、いかに生きるか、という根源的な問いが稀薄で、一向に腹がふくれない。もっとも、それでは私自身は、自分の生と学問をどこまで重ね合わせ、つきつめているかと自問すると、忸怩たる思いにとらわれざるをえない。

 私の専門であるイスラームに関していえば、当然のことながら、多くの本を手に取った。たとえば、八尾師誠『イラン近代の原像 英雄サッタール・ハーンの革命』(東京大学出版会、1998年。第1部の地域研究の試みに刺激を受けた)、山内昌之編訳(宇山智彦・帯谷知可・野中進共訳)『史料 スルタンガリエフの夢と現実』(東京大学出版会、1998年。貴重な史料の丹念な翻訳)、岡田恵美子『隣のイラン人』(平凡社、1998年。著者が新境地を切り開いたもの)、田村愛理『世界史のなかのマイノリティ』(山川出版社、1997年。個人的関心からいえば、聖者の問題を扱った第4章が興味深かった)、臼杵陽『見えざるユダヤ人 イスラエルの<東洋>』(平凡社、1998年 地域研究スペクトラム第1号書評参照)、市川裕・鎌田繁編『聖典と人間』(大明堂、1998年。クルアーン=コーランの解釈について、大川玲子がスンナ派の例、鎌田繁がシーア派の例を精緻に分析している。鶴岡賀雄のスペイン神秘主義に関する論文、永ノ尾信悟のヴェーダに関する論考等、イスラーム以外のものも興味深い)。
 こういったすぐれた著作以外に、金宜久主編『伊斯蘭教辞典』(上海辞書出版社、1997年)が気になった。伊斯蘭はイスラムと読む。中国語のこの手の辞典の常で、アルファベット順でなく、内容別に分類したうえで、小項目を配する形になっているが、項目数は3000以上を数え、幅広い選択がなされている。中東のみならず、Islamic Council of EuropeやIslamic Society of North Americaといった欧米の組織や南アジア・東南アジアの組織への目配りがされている一方、神秘主義文献の相当細かいものまで書名で引けるようになっており、中国のイスラーム研究のレベルを伺い知ることができる。小項目に徹しすぎたため、辞典にしては各項目の書き込みが足りない憾みはあるが、現時点ではないものねだりというべきだろう。
 私自身も執筆しているので、こういうところに取り上げるのはどうかとも思うが、大塚和夫編『アジア読本 アラブ』(河出書房新社、1998年)、板垣雄三監修、山岸智子・飯塚正人編『イスラーム世界がよくわかるQ&A100 人々の暮らし・経済・社会』(亜紀書房、1998年)の2点は、イスラーム世界研究の裾野の広がりを如実に示すものといえるだろう。いちおう専門家であるはずの私が読んでも、新しい発見がいくらもあり、興趣は尽きない。

 京都での生活に憧れていた。京都にやって来て、4ヶ月が過ぎようとしている。しかしまだ、落ち着いて本と向かい合うことができないでいる。これから長い年月を過ごすことになるであろう京都で私が願うのは、知とともに豊かで静かな時を過ごしたいということだ。これまでのところはわずかに、藤原東演・杉村孝『わらべ地蔵 悲しみをお地蔵さんにあずけて・・・』(鈴木出版、1996年)という、可愛らしいお地蔵さんの写真に飾られたフォトエッセイ集を読んだときに、やや深い息をついただけである。

『地域研究スペクトラム』創刊号(1998年7月20日)、45-47頁より転載

 
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