「写本の喜び,写本の哀しみ」


 「へーっくしょい。」
大きな音が静かな部屋に響きわたる。私は慌てて鼻をかみ、 その音が再びしじまを破る。同じ部屋にいる2~3人はしかし、何事もなかったかのように、鉛筆を走らせつづけている。それにしても寒い。寒すぎる。

 1991年の暮れ、私は、青春の思い出の地、カイロを訪ねていた。86年から88年まで をカイロ大学大学院で過ごして以来、ほぼ3年ぶりの訪問であった。アラビア語の写本を探しに来たのだが、許された休暇は2週間。カイロに到着した翌日から、さっそく写本館めぐりが始まった。

 カイロでの3日目は12月24日にあたっていた。しかしイスラーム世界であるエジプ トでは、街はふだんどおりに動いている。私も朝早くから、千年の歴史を誇るアズハル大学の写本館で写本を読んでいた。日本にいても写本は読めるが、しょせんはコピーである。今私の目の前にあるのは、何百年も前の人が書き写した現物なのだ。これまで、数多くのアラブの学生や学者たちが、この写本を手にし、読んできたにちがい ない。今私がしているのと同じように。見たこともない彼らとふれあえるような気が して、写本を手にすると軽い興奮を覚えるのが常であった。

 それにしても寒い。気がついてみると、写本室の大きな窓を職員が全開にしていた 。いくらカイロが暖かいとはいっても、年末ともなれば冷えこむのだ。室内には暖房らしい暖房はなく、私たちはジャンパーを着たまま写本を読んでいる。室内はせっか く人いきれで少しばかり暖まったというのに、全開の窓からは寒気がどっと入ってく る。それからおよそ30分ほど窓は開いたままだった。今にして思えば、定期的に空気 を入れ替えるよう決められていたのだろう。空調設備の整っていない写本館のせいい っぱいの写本保護策なのかもしれない。

 この儀式は私が通っているあいだ、毎日繰り返された。おかげで私はかぜをひいてしまい、25日の夜には39度の高熱を発してしまった。こうなると写本調査も命がけで ある。2~3日は安静にしていたが残された時間は短い。12月31日には再び私は写本室に坐って本を読んでいた。1月1日も、2日も読んでいた。毎日繰り返される儀式のなか、くしゃみをし、鼻をかみながら、読みつづけていた。

『ΚΟΣΜΟΣ』No.119(1997年10月1日,東洋大学図書館発行),1頁 より転載

 
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