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2000年度目次(東南アジア地域研究専攻)

  第二十一回 「開発現象と地域研究」
 
 

Contents

1.村の「伝統」としての開発

2.開発現象の複雑さ

3.地域研究としての開発現象研究

4.人、言葉、モノのネットワークとは
  どのようなものの見方か

5.開発現象―人、言葉、モノからなる
  ネットワーク

  

4.人、言葉、モノのネットワークとは
  どのようなものの見方か

 日本では、歩行者は右側通行をし、車は左側通行をしている。それでは、なぜこのような道路交通のあり方が成立しているのだろうか。この問いを学生にすると、「法律で決まっているから、当たり前でしょ」、という答えがすぐにかえってくる。しかし、はたしてそうなのだろうか。

 実際に道路に出て観察してみると、交通規則のみが道路交通を律しているのではないことがよくわかる。つまり、交通規則のみならず、それを取り締まる警官の視線、人々の目、交通安全ポスター、さらには、道路の歩道や中央分離帯の物理的構造、車のハンドルの位置といったさまざまなものが作用し合いながら、現実の道路交通のありようが決まっている。つまり、交通規則遵守という現象一つをとっても、それは、人、言葉、モノからなるネットワークが形成されてはじめて成立するものなのである。

 ところで、このような種明かしをすれば、「なんだそうか」とだれでも納得する。当たり前なのである。しかしここで注意したいことは、道路交通のあり方が安定し、ほとんど意識されずにそれを遵守できているときには、そのメカニズムが当たり前なものとして忘れ去られてしまう点である。つまり、規則があるからそれが守られているにすぎないと、多くの者が思いこんでしまう点である。

 人、言葉、モノのネットワークが安定し、意識せずに維持できるとき、それらのネットワーク(作用のかかわり合い)は人々の記憶から消え、なにか「適当」な原因と結果の対応(ここでは、規則=道路交通の維持)として人々に理解される(ブラックボックス化される)のである。そのとき、この「適当」な対応関係が、われわれにとっての「事実」となるのである。

 ところで、このようなやり方でわれわれを取り巻く世界を見ていくと、出来事や現象は、さまざまなネットワークが幾重にも重なったものとしてとらえることになる。そこには、生成過程のネットワーク、「事実」として認められたネットワーク、変容し消滅しつつあるネットワークなどが錯綜している。そのため、出来事や現象を総合的に理解するためには、人、言葉、モノのネットワークをとらえつつ、そこにできた「事実」を開け、そのネットワークのありようを把握することが重要になってくる。これがアクター・ネットワーク論の興味深い点である。つまり、世界を、「事実」にもとづいて理解しようとすると同時に、「事実」が生まれてくる過程や条件にも目を向けようとするのである。

写真4 スリランカ・コロンボ・フォート地区。一方通行となっており、歩道と車道は鉄柵で区切られている。