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第1回(通算第26回)
「フィールド医学の提唱-老年医学研究を中心として-」
松林公蔵:東南アジア地域論講座

Contents

1.医学研究における生態学的視点

2.医学研究における細分化と統合

3.時間軸にそったフィールド医学(老化の時代的変遷)

4.垂直地理学的フィールド医学(高所医学

5.水平地理学的フィールド医学(地域研究としての医学)

3.時間軸にそったフィールド医学(老化の時代的変遷)

 『朝は4本足、昼は2本足、夕方には3本足で歩く動物は何か?』
 この設問は、スフィンクスのなぞとして、よく知られている。
ギリシャ神話にあらわれる怪物スフィンクスが、テバイの城門の岩の上に座り込み、道行く人にこのなぞをかけ、答えられなければ喰い殺してしまったという。そこを通りかかったエディプス王は、「人は幼時四肢で這い、成人して2本足で立ち、晩年歳をとると杖をついて3本足となる、すなわち、このなぞは人の生涯をあらわしたものである」という正解を示すと、負けを認めた怪物スフィンクスは、岩から身を投じて自殺したと神話は伝えている。
 2千数百年前のギリシャの時代にさかのぼるまでもなく、近々数十年前まで、人は、歳をとり身体が弱って、杖をつくようになると、やがてロウソクの火が消えるようにように往生するのが、自然の摂理であると受容してきた。
 しかし、現代では、人間の生涯は夕方では終わらない。そのあとに、長い長い夜の時代がある。すなわち、寝たきりや痴呆である。
寝たきりや痴呆、脳卒中後遺症、骨・関節疾患などの慢性疾患は、加齢とともに増加し、根治させることは困難なことが少なくない。慢性疾患が急性疾患と異なる点は、主要な次元が生死よりもむしろ、患者自身の苦痛、能力の障害、社会的ハンディキャップというように、簡単に測定することが困難で、しかも患者自身にしかわからない問題を抱えていることである。医療技術が高度に発達した現在においても、患者の苦痛、能力の障害、ハンディキャップを正確に測定する医学検査は乏しい。高齢社会を迎えた現在、高齢者において重要なのは、この「能力障害=disability」を評価し、障害を可能な限り改善あるいは予防することであろう。
 私たちは、高知県香北町という町で、町に住んでいる約2000人の高齢者を対象として、ここ10年間にわたる老年医学的追跡研究をおこなってきた。
 その結果、高齢者の将来の死亡に対する危険因子、将来寝たきりをもたらす要因などを明らかにし、地域への老年医学的介入のよって、地域在住高齢者の日常生活自立度を改善し、医療費の伸びの抑制にも成功した。同時に、高齢者の死生観やQuality of Life (QOL)の実態も明らかとなりつつある。
 現在では、高齢者の縦断的追跡調査フィールドを、高知県以外にも、滋賀県余呉町、京都府園部町、北海道浦臼町に拡大し、本邦高齢者の健康実態の地域特性を追跡している。フィールド医学的手法をもちいた地域研究の比較の原点は、あくまで本邦の高齢者にある。

地域在住高齢者の実態をこれまで10年間追跡してきた高知県香北町の風景。物部川をはさんで、古く平家の落人が住み着き今日にいたっているとの伝説がある