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第4回(通算第29回)
「水は水を汚さない」
石田紀郎:生態環境論講座

Contents

1.1970年代は・・・

2.工場による公害もさることながら・・・

3.琵琶湖に奇形魚が・・・

4.山があり、農地があり、・・・

5.「琵琶湖が琵琶湖を汚さない」

2工場による公害もさることながら・・・

2)工場による公害もさることながら、当時は近江平野の農業が質的に変化した時代である。また、琵琶湖南部地域においては人口が急増し、高度経済成長により消費生活もまた激変した時代である。琵琶湖の水質悪化の傾向は加速しつづけ、ついに1977年5月にそれまでは予想もされなかった淡水赤潮が発生するまでに至った。この状況変化を眼前にして、1975年に関西在住の研究者有志で琵琶湖汚染総合調査団を組織して、国家事業として進められていた琵琶湖総合開発計画を批判する報告書を作成した。この報告書の中には2年後に発生した赤潮を予測した文章はまったくない。科学の予測範囲を遥かに超えた質的変化が琵琶湖の中で進行していたのである。


(琵琶湖総合開発矢橋の埋め立て写真)