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2000年度目次(東南アジア地域研究専攻)

  第二十三回 「クアラルンプルのサマ人:都市就労のマレーシア的文脈」
 
 

Contents

1.普遍現象の個別文脈

2.海民

3.マレーシアのサマ人

4.クアラルンプルにおける就労状況

5.マレーシアという文脈

  

5.マレーシアという文脈

 かつては大半が漁民であったサマ人が都市で就労するようになったのは、サバ州がマレーシアとして独立してからのことである。人口希薄なサバにおいては、独立初期から労働力の確保は重要な課題であった。木材伐採に関わる職、港湾労働者、商店店員、そして公務員。サマ人はこうした職場に吸収されていった。1970年代にはすでに脱漁業の傾向が顕著であった。しかしセンサスで判断する限り、80年代まではサマ人が半島で就労することは少なかった。それは、90年代以降に一般化したとみてよい。なぜ90年代以降なのか。一つの主要な理由は、半島のマレー人が単純非熟練労働を嫌うようになったことであろう。周知の通り、マレーシアは1970年代以降に新経済政策のもと経済的に「遅れた」マレー人を優遇する政策−いわゆるブミプトラ(マレー系原住民)優先政策をとるようになった。大学入学者や都市における職場の一定割合を、マレー人に振り分けることが定められた。結果、マレー人の間で都市就労が一般化するようになった。しかしマレー人の高学歴化が進むにつれ、かれらは商店の店員や工場労働者のような単純非熟練労働を嫌い、オフィスビル内の事務職を求めるようになった。雇用者側の一つの選択はバングラディシュやインドネシアの外国人労働者を雇うことであったが、合法的な外国人労働者の雇用には限界があった。外国人労働者は当然ブミプトラ枠に含まれなかった。そこでサバやサラワクの「マレー系原住民」が求められるようになったのだ。サバ州では職種が限定されており、また賃金自体も低いため、半島での就労は金銭的な面で十分に魅力的であった。さらにマレーシアにおけるサマ人の位置は、半島部におけるかれらの都市就労をより容易にした。ムスリム(イスラーム教徒)であり、サバ州の「原住民」であるサマ人は、かれら自身もそう認識しているように、一般に「マレー人の一種」とみなされる。よって、先の事例でみたように就労、居住、結婚において、マレー人の間にとけ込むことに何ら苦労することがないわけだ。やや駆け足であったが、サマ人の都市就労という微細な事例から、マレーシアという国家の社会・経済的な文脈がある程度浮き彫りにされたであろう。