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第6回(通算第31回)
「インドネシアはなぜ政治的に不安定なのか」
白石隆:東南アジア地域論講座

Contents

なにが問題なのか

1、なぜ行き詰まったのか−政治制度

2、なぜ行き詰まったのか−政権の運営

3、なぜ行き詰まったのか−政治的妥協と非常事態宣言の問題

4、新政権は安定するのか

5、なぜ政治社会秩序は不安定なのか

6、なぜ家族主義システムは崩壊したのか

7、インドネシアの危機をどう考えるか

6なぜ家族主義システムは崩壊したのか


 これが崩壊した。その一つの理由はスハルトのファミリー・ビジネスの専横である。一九七〇−八〇年代、家族主義といえば、上司(=親父)が財団を設立し、実業家と合弁事業を行って、部下(=子供)の面倒をみるということだった。ところがスハルトの子供たちが大きくなり、大統領が公然と実の子供たちのビジネスに肩入れするようになると、上は大臣、局長から下は市長、村長まで、みんな、小スハルトとして、同じことをやった。この結果、一九九〇年代には、家族主義はファミリー・ビジネスの代名詞となり、家族主義的慣行は「腐敗、癒着、縁故びいき」として厳しく批判されるようになった。
 しかし、そうはいっても「助け合い」は美徳である。たとえば、わたしが市長になったとすれば、周りの人たちはわたしがかれらの面倒をみることを当然、期待する。しかし、わたしがその期待に応えてかれらの面倒をみると「腐敗、癒着、縁故びいき」になる。みなければ、あの人はだめだ、となる。つまり、これまでの家族主義システムが正当性を失い、動かなくなっている。
 もう一つは経済危機による財団ビジネスの崩壊である。スハルト時代、ジャカルタでも地方でも実に多くの財団が設立され、合弁事業が行われた。こういう財団ビジネスの多くが危機の中で破綻した。その結果、上司(=親父)はかつてのようには部下(=子供)の生活の面倒をみることができない。ではどうなるか。公務員は毎月の給与だけでは一週間も生活できない。生きるためにはお金がいる。親父が面倒をみてくれなければ、自分の甲斐性でお金を稼ぐしかない。学校の先生が麻薬を売る、警察官が賭博場の用心棒になる、そういうことがごくあたりまえとなった。
 こうしてみれば、危機の基本になにがあるか、明らかだろう。家族主義の考え方からすれば、上司は部下の生活の面倒をみなければ、親父ではありえない。そして上司=親父、部下=子供の等号の成立しないところでは、上司と部下のあいだに信頼と権威に支えられた安定的な上下関係もありえない。インドネシアでは近年、略奪、暴動、犯罪の増加、宗教対立、民族紛争、分離独立運動など、社会秩序の崩壊としか言いようのない現象が各地でおきている。これにはさまざまな理由がある。しかし、その基本には、スハルト時代につくられた資源再配分メカニズムの崩壊がある。これはいまの大統領がいつまでたっても「坊ちゃん(グス)」だというので、アブドゥルラフマン・ワヒッド(グス・ドゥル)に代わって「お母さん(イブ)」のメガワティ(イブ・メガ)が大統領に就任しても、そう簡単には解決されない。