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第8回(通算第33回)
「ダルマの現代的意義を問う」
田辺明生:連環地域論講座

Contents

1.はじめに

2.世俗主義の地域性

3.近代世界における認識論と支配構造

4.ポスト冷戦期における存在論の再浮上:ポスト啓蒙主義時代へ

5.自由の条件としての絶対真理の領域

6.ダルマとリベラリズム

7.ヒンドゥー教における自由

8.ダルマにおける供犠的行為

9.ダルマと現代世界

はじめに

この講座では、現代世界においてダルマ(ヒンドゥー・仏教的伝統における法と正義)の思想はいかなる意義をもちうるかを考えてみたい。
 むろん、今さらダルマについて大上段に語ることに意味があるのかという疑問はとうぜんありうるだろう。それは結局、相対的で部分的な意味しかもたない、ある特定の(諸)宗教の問題に過ぎないのだろうか。冷戦の終わりにおいて、リベラル・デモクラシーが最終的な勝利を納めたことによって歴史は終焉したと宣言するフランシス・フクヤマのような楽観主義とまではいかないまでも、21世紀の世界システムは自由主義的民主制と市場経済を普遍主義的なイデオロギーとするという田中明彦のような近代主義的見解はたしかに有力である。こうした状況において、普遍思想としてのダルマの可能性について語ることは、愚かしいこととまでいわなくとも、ポイントのずれたことなのだろうか。
 そうではないと私は考える。むしろ冷戦の終了は、問題の立つ軸が決定的に変容したことを告げるものであろう。私は、現在におけるこの変化を「認識論から存在論へ」の基軸的なパラダイム・シフトであるととらえている。これがリベラル・デモクラシーの退陣を意味するものではないとしても、その制度と哲学が新しい問題系のなかで鍛えなおされなくてはならないことは確かであるように思われる。


インド北部ガルワル地方にて、ヒマラヤ連峰を望む