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第8回(通算第33回)
「ダルマの現代的意義を問う」
田辺明生:連環地域論講座

Contents

1.はじめに

2.世俗主義の地域性

3.近代世界における認識論と支配構造

4.ポスト冷戦期における存在論の再浮上:ポスト啓蒙主義時代へ

5.自由の条件としての絶対真理の領域

6.ダルマとリベラリズム

7.ヒンドゥー教における自由

8.ダルマにおける供犠的行為

9.ダルマと現代世界

世俗主義の地域性


 リベラル・デモクラシーの思想的枠組みにおいては、近代西欧キリスト教を核とする存在論が前提されていたのであったが、後に述べる近代主義的な認識論的前提のもとに、西欧社会において、存在論の問題はだんだんと「個人の主観的な信仰」あるいは「特定のドグマの信仰」としての宗教の問題へと矮小化され、客観的な科学理性が支配するべき公共領域からは排除されることとなった。これが世俗主義の根幹であり、これによって存在論的問題は公共領域では問われないこととなった。そこでは行為の意味や目的は棚上げされ、手段的理性が支配するところとなってしまったのである。これは、私事たる宗教への国家の不介入という自由主義の原則ともうまく合致したし、エネルギーを効率的生産のために集中するという資本主義の拡大の原理ともよく合った。しかしこうした世俗主義の枠組みは、あくまで西欧を基盤とする特定の地域性と歴史性の中にうまれた思想・制度であり、その普遍的適用性を前提できないということは再認識されねばならない。
 ダルマの思想もある特定の地域性と歴史性の中にうまれたものであることはいうまでもない。しかしそれは存在論的な課題にも答えうる普遍主義的な思想としての可能性を有する。ダルマは、いわゆる宗教の領域のみならず、政治、社会、経済の領域においても、21世紀のインドそして日本を含むダルマ世界(ヒンドゥー・仏教的伝統のある世界)のあるべき姿を考えるにあたってきわめて有効な再考の枠組みを与えてくれると考えたい。それについて考察することは、同じく普遍主義的で現在支配的なリベラル・デモクラシーの思想・制度の限界を逆照射するメリットもあるだろう。


インド北部の聖地バドリナートにて


中央に見えるのがバドリナート寺院