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第8回(通算第33回)
「ダルマの現代的意義を問う」
田辺明生:連環地域論講座

Contents

1.はじめに

2.世俗主義の地域性

3.近代世界における認識論と支配構造

4.ポスト冷戦期における存在論の再浮上:ポスト啓蒙主義時代へ

5.自由の条件としての絶対真理の領域

6.ダルマとリベラリズム

7.ヒンドゥー教における自由

8.ダルマにおける供犠的行為

9.ダルマと現代世界

ポスト冷戦期における存在論の再浮上:ポスト啓蒙主義時代へ


 ポスト冷戦世界において、イデオロギー対立は確かに終焉した。しかしそれはリベラリズムという一方の陣営が勝って、そのイデオロギーが以降支配的なものとして世界の価値構造を一元的に規定するということを意味しないだろう。冷戦の終結は、植民地支配そしてそれに続く東西対立構造のなかで宙吊りにされていた、存在論的な問いという世界史におけるより根源的で大きな課題が、新たな時代の焦点として浮かび上がることを可能にしたといえるのではなかろうか。
存在論的問いとは、「自己とは何ぞや」という問いであり、「自己と世界と絶対との関係をいかにとらえるか」という問題である。この問いへの答えは、個人の信仰の問題にとどまらず、どのような哲学に基づいて政治と社会をデザインするのかという問題に関わるものである。例えば国家権力がいかに正当化されるかという問題についても、存在論と切り離して考えることはできない。
近代後期の現在においては、全ての集団と個人に平等な権利を保障するという近代主義的なプロジェクト(認識論的主体の平等という普遍主義)が進行すると同時に、近代が公共領域から排除していた行為の意味や価値そしてアイデンティティの問題があらためて焦点となっている。権利平等の確保のための運動はこれからも進むだろうし、進むべきであろうが、同時に、そこにおいて個人の行為の物質的制度的な可能性の幅が確保されるとともに、「自分は誰なのか」、「いかなる行為を何のためになすべきなのか」というより根源的な問題が問われる時代となるだろう。これは、「認識論から存在論へ」のパラダイムシフトの一環である。


オリッサ州の聖地プリーのジャガンナート寺院