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2000年度目次(東南アジア地域研究専攻)

 

第二五回 「カリフへの呪い

清水和裕  連環地域論講座(東南アジア地域研究専攻)

 
 

Contents

1.不変の「原像」としての初期イスラーム

2.スンナ派とシーア派

3.アリー・バクルとウマル

4.アリーとムアーウィヤ

5.アッバース朝バグダードの抗争

6.カリフへの呪詛の構図

6.a.正統カリフ呪詛と呪詛者の処刑

6.b.ムアーウィヤ賛美と呪詛、呪詛の中止

6.c.呪詛をめぐる関係性

7.現代を理解するための歴史

  

4.アリーとムアーウィヤ

 アリーは、ウスマーン(第3代カリフ)の暗殺をうけて第4代カリフに就任した。しかし、ウスマーンの親族ムアーウィヤはアリーを暗殺の責任者と名指しして、血の復讐を誓った。両者は激突し、アリーの死後、ムアーウィヤがカリフ位を宣言してウマイヤ朝を開いた。スンナ派の大多数はムアーウィヤとウマイヤ朝を力によるカリフ位の簒奪者であり、彼らの統治権をカリフ権ではなく王権と規定する。一方、シーア派にとってはアリーとその子孫に対する敵以外の何ものでもない。そしてウマイヤ朝を打倒して築かれたアッバース朝においては、ムアーウィヤはウマイヤ朝という敵を代表する人物であった。

ウマイヤ朝首都ダマスクスのウマイヤ・モスク