<< 東南アジア地域研究専攻 2000年度目次へ戻る

2000年度目次(東南アジア地域研究専攻)

  第十七回 「イスラーム世界研究の新地平
       ― スーフィズム・タリーカ研究―」
 
 

Contents

1.スーフィズムとタリーカ

2.イスラームの2つのベクトル

3.倫理の学としてのスーフィズム

4.鍋は急いで洗え

5.ウンマの再現としてのタリーカ

6.「大ジハード」と「小ジハード」

7.ゴルバチョフへの書簡

  

3.倫理の学としてのスーフィズム

 スーフィズムは一般に「イスラーム神秘主義」と訳されています。しかしながら、「神秘主義」という言葉には、日常生活とは縁遠い、一部の好事家だけが社会を離れてしている何か、普通の人には理解できない難しい(もしくは怪しい)もの、といった含意があります。

 「イスラーム神秘主義」という、ある種偏ったスーフィズムのイメージを相対化するために、私は最近「倫理の学としてのスーフィズム」ということを考えています。よりよく生きるにはどうしたらよいのか、そのことを考え、実践し、教えるのが、倫理の学です。もちろん、イスラームにおける倫理の学ですから、それはムスリムとしてよりよく生きる、ということを目指しています。

 たとえば、中世の有名なスーフィー導師、イブン・アターウッラーの言葉に耳を傾けてみましょう。

イブン・アターウッラー廟外観(上)および内陣(下)(エジプト・カイロ)

イブン・アターウッラーはシャーズィリー教団の第3代指導者(シャイフ)で、数多くの弟子を育て、著作をのこしました。