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第3回(通算第28回)
「パキスタンにおけるNGO活動―宗教と民族がもつ活力を探る―」
子島進:連環地域論講座

Contents

1.カラーコラムの村から

2.宗教センターと社会サービス

3.外からの力をうまく利用する

4.カラーチー

5.イーディー福祉基金

6.慈善事業家=イスラーム聖者?

7.オーランギー・パイロット・プロジェクト

8.まとめ

6慈善事業家=イスラーム聖者?

 イーディー氏自身は宗教学者ではないが、パキスタンの民衆が表現するイスラームに、非常に近いところに位置していると、私には感じられた。端的に言えば、彼はイスラーム的な正義や公正を体現する聖者のように敬慕され、崇敬を受ける存在なのだ(一方で数多くの中傷も受けてきた)。
 インタヴュー中、中年の男性が事務所に駆け込んできた。いい大人がぼろぼろ泣きながら、子供の治療費が足りないので、なんとか助けてくださいと懇願する。「近所の人たちに、寄付をお願いしなさい」と自助努力を諭しつつ、彼は職員を呼んで書類(小切手?)を渡す。男性はその職員に連れられて、感謝しつつ退出した。ほんの3、4分の出来事だったが、これがよくもわるくもイーディー流なのだろう。官僚的な手続きとは対極的な、暖かい対応が庶民の支持を長年にわたって受けつづける所以であろうか(しかし透明性は低い)。

 「こういう風に、毎日人が駆け込んで来るんですか?」との質問の答えが興味深かった。「そうだよ。だからお金がいくらあっても足りない。いつもお金をどう工面するかの算段で、頭が一杯だよ。ああ、若い女性が懺悔にやってきたこともある。『お父さん、私は生まれてからずっと貧しく、何度も他人の財布からお金を盗んできました。この私の罪を許してください』と泣くんだ。私に謝るんじゃなくて、あなたがお金を盗んだ人たちに謝りなさいと言って聞かせたんだ」

 カラーチーから50キロほど離れた土地に、イーディー氏は「イーディーの村」を建設した。ここには、何百人という孤児たちと精神病の患者たちが暮らしている。そして、広大な敷地の一角に、イーディー氏とその夫人の墓がすでに用意されている。彼の死後、ここが多くの参詣者でにぎわう聖者廟となると予測することは、あながち的外れではないと思われる。


カラーチー市内にある
アブドゥッラー・シャー・ガーズィー廟には、
日夜多くの老若男女が訪れ、
祈りを捧げていく。