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第5回(通算第30回)
「民主政治時代の中央・地方関係」
玉田芳史:地域進化論講座

Contents

1.タイの中央・地方関係

2.併呑された地方権力

3.中央集権的な行政

4.学歴エリート:ニムマーンヘーミン一族

5.地元密着型資本:タントラーノン一族

6.官僚と政治家を使うスパー一族

7.首相を出したチンナワット一族

8.遠い地方の時代

学歴エリート:ニムマーンヘーミン一族


 集権化で平坦にならされた地方から頭角を現してくるのは、学歴エリートか商業エリートであった。後者は中国系中心である。前者も多くは後者から生み出された。両エリートの生産において首都は圧倒的に有利であった。しかしチェンマイは、地方都市としては学校がもっとも整備され、北部地方の中心地として繁栄したため、学歴エリートの生産においてやや恵まれた環境にあった。
 チェンマイの裕福で教育熱心な商売人を代表するのがニムマーンヘーミン一族である。一族のスキット(1906-76年)は1920年代半ばに私費でイギリスへ留学し、帰国後官僚になった。48年局長を最後に退職し、以後四半世紀の間にたびたび入閣することになる。その従兄弟ピスット(1915-1985年)も34年からイギリスに私費留学し、帰国後は中央銀行に入って1971年から75年にかけて総裁を務めた。その甥が民間銀行頭取をへて90年代に長く大蔵大臣を務めたターリンであり、国営銀行頭取を務めたその弟シリンである。


■ 4 ニムマーンヘーミン通り

 一族は金貸し業でチェンマイに広大な土地を集積した。これが海外留学を支えた資産である。一族は1960年代のチェンマイ大学創立時に用地として私有地を寄付した。開発で利便性が高まり地価が上昇するからである。また、チェンマイの環状線(スーパーハイウェイ)建設時に路線を変更させ、私有地を貫く小道に直結させた。この私道は拡幅され、一帯は宅地開発され分譲された。手前の分離帯がある道路は環状線、分離帯がなくなる交差点から向こう側がそのニムマーンヘーミン通りである。