研究科長あいさつ

message from the dean

みなさんASAFAS(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)へのご入学おめでとうございます。

ご挨拶をするにあたり、新型コロナウイルスの世界的流行をめぐって、現在、私たちが置かれている状況を抜きにしては何もお話しできないと感じています。ご存知の通り、昨年末、中国の武漢に端を発したこのウイルスは、いまや欧米諸国においても爆発的感染状況をもたらしており、医療関係者の懸命の努力にもかかわらず、多くの人びとの生命を奪い続けています。自国内へのウイルスの侵入と蔓延を防ぐために国境を閉ざして人の往来を止める鎖国的な政策をとる国が相次いでいます。

このような世界的な状況は、アジア・アフリカの各地に赴いて、フィールドワークという手法によって地域の生態・社会・文化の深い理解を身につけた人材を育てるという本研究科の教育研究活動の根幹を揺るがしかねない非常事態であるといえます。

今、私たちにできることは、このウイルスに感染しないよう、また広めることのないよう、可能な限りの方策をとることであることはいうまでもありません。そのうえで、私たちが、この状況下において地域研究の学びをどのようにおこなえばよいのかを考えておく必要があると思います。

昔話になりますが、私は今から42年前に、アフリカのスーダン、現在は南スーダンとして独立したところに赴きました。まだ学部生でしたが、フィールドワークを志し、アチョリという人々の村に住んで約4ヶ月農業について学びました。己が来た道の険しきを言うなかれ、というのが私のモットーのひとつですが、そのときの楽しくもあり、困難でもあった様々な経験は、話出せばたぶん1日では終わらないと思います。また機会があればゆっくりお話できればと思います。

今日、この場でお伝えしたいことをひとつ選ぶとすれば、それは私がフィールドで経験した様々なコミュニケーションの困難さです。言葉を学び、異なるディシプリンの語彙と概念をみにつけ、地域の生態・社会・文化をまるごとわかろうとすることは容易いことではありません。そこには、常に自己とそれをとりまく世界との相互関係があり、その問い直しを不断の努力でもって続けていかなければいけません。ときには、よそものとしての自分の存在そのものが相手に害を及ぼすという気付きがあるかもしれません。

ここで共通して問題となることのひとつに、自他の距離があります。1969年に「隠れた次元」Hidden dimensionという本のなかで、アメリカの文化人類学者エドワードTホールは、文化的な近さcultural proximityという表現を用いて人と人の空間的な距離とその意味が文化によって異なることを指摘しました。

いっぽう、1-2mの社会的距離をおくことsocial distancingがウイルスの伝染を防ぐ科学的合理的な方法として広まりつつあります。仮にこの社会的距離の作法がグローバル基準として定着したら、世界のコミュニケーションにおける文化的近接の多様性はどのように変化していくのでしょうか?握手やハグをしなくなる世界が出現するのでしょうか?

私は基本的に楽観主義者でありたいと思っています。いまのような閉塞感の漂う状況は、遅かれ早かれ終息に向かうことでしょう。しかし、そこに始まる「正常」な日々は、以前と同じものであるはずもありません。

かつて、ポスト冷戦、あるいはポストモダン、といった様々な「その後」の時代区分が、新しい時代の方法を手に入れる契機になりました。戦後、京都の探検学派が学際性や文理融合というアプローチをたて、地域研究が導かれたように、ポストCOVID-19の時代になって、私たちが何を手に入れることができるのか。社会的な困難に直面しているいまこそ、地域研究の真価が問われるのではないかと思います。いまこのときを、これからの新しい地平を開くための試練ととらえ、可能性を模索する大切な時間と空間が与えられたと考えてみてはどうでしょう。いっしょに考えていければと思います。
 

研究科長 重田 眞義