ASAFAS 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
インターネット連続講座
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  第五回 「地域研究で 開けゴマ
東南アジア地域研究専攻 古川久雄(生態環境論講座) 
 
 

Contents

地域研究への誘い

地域

フィールドワークと直観的観相

<自然地域>の相と<メタ地域>の相

<寄生メタ地域>の暴走に歯止め

1、地域の単位−今西錦司の示唆

1-2、今西錦司の生物社会の見方

1-3、岩田慶治の指摘

1-4、生物のホメオスタシス

2、高谷好一の「世界単位」

2-2、「世界単位」の概念

2-3、腑に落ちない点

3、地球単位

3-2、「地域種社会」と「地球単位」

3-3、<寄生メタ地域>

4、地域研究の存在理由

  

腑に落ちない点


 「世界単位」論には大賛成なのだが、腑に落ちない点もある。ひとつは生態・生業・制度・世界観コンプレックスという括り方は生態適応型世界単位の場合、よくわかるのだが,大文明型やネットワーク型の場合はどうなるのだろう。生態はネットワーク型にも、大文明型にも利いているのではなかろうか。高谷もそれらしきことをいっているのだが、生態適応型の構成単位だけが自然村落型集落であり、ネットワーク型の港町やオアシスが人工的であるとするのは,腑に落ちない.逆に生態適応型の集落も人工的であり、ネットワーク的であるのは同じでなかろうか。コンプレックスと言う次元で地域の体制の違いを見るのだろうが、自然村落、人工集落と言った言葉にわたしは引っかかる。あるいは私の頭の中に棘があるのかもしれない。棘抜きを助けてほしい。
 次ぎに、高谷が今のところ旧世界に24個認めたそれらの範域に「世界単位」の名称を冠しているということは、それぞれが世界の秩序を構成する単位だと言う見切りがあるにちがいない。この時,それぞれの範域が単独で,全体の秩序を構成しているのだろうか。「世界単位」と世界の間にはもう一つの空間的まとまりがあるのではないかとおもうのである。

11 全世界にローマカトリックの信仰が広まった過程はヨーロッパ人の植民地拡大でもあった。左手に十字架、右手に剣の形だが、宗教受容は人間の心の複雑さそのものだ。

(ヴァチカン公国サンピエトロ広場)

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