ASAFAS 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
インターネット連続講座
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  第六回 「〈開発〉という体験 スマトラの村の歴史から
東南アジア地域研究専攻 加藤剛(地域進化論講座)
 
 

Contents

1. 〈開発〉というもの

2. コトダラム村

3. 好きやねん

4. 〈真昼の闇〉と20世紀の始まり

5. 「年寄りも若返ったとき」

6. 〈クーポン時代〉のヒーローたち

7. イスラーム知識人の誕生

8. 公のために

9. スカルノのインドネシア

10. スハルト開発体制と村落

11. 消費される開発

12. 宴のあとに

13. 〈地域研究〉ということ

  

8.公のために


 
西スマトラからもどったイスラーム知識人は、社会のため、民衆のため、民族のため、つまり公のためになにかしようとの意識を、西スマトラで高めてきた人たちだった。その表れの一つが、村の中心地に三年制のイスラーム学校をつくることだった。当時のインドネシアには〈開発〉(プンバングナン)という言葉は存在しなかった。インドネシア知識人のあいだでは、今世紀初頭から〈進歩〉(クマジュアン)が合い言葉となっていたが、進歩のための鍵は教育であると考えられた。コトダラムにおけるイスラーム学校の建設も、進歩のための布石であったということができる。進歩は、やがて、〈運動〉や〈独立〉といった言葉の前に勢いを失うにいたる。オランダ語教育を受けたエリートが存在しなかったコトダラムでは、イスラーム知識人が、西スマトラより遅ればせながらの、ナショナリズム運動の担い手となった。

〈クーポン時代〉のグロタ・パンジャン、公のためにつくられた屋根つきの〈長い橋〉。村内自助努力による「公共事業」の走りである。

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