ASAFAS 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
インターネット連続講座
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  第六回 「〈開発〉という体験 スマトラの村の歴史から
東南アジア地域研究専攻 加藤剛(地域進化論講座)
 
 

Contents

1. 〈開発〉というもの

2. コトダラム村

3. 好きやねん

4. 〈真昼の闇〉と20世紀の始まり

5. 「年寄りも若返ったとき」

6. 〈クーポン時代〉のヒーローたち

7. イスラーム知識人の誕生

8. 公のために

9. スカルノのインドネシア

10. スハルト開発体制と村落

11. 消費される開発

12. 宴のあとに

13. 〈地域研究〉ということ

  

12.宴のあとに


 
スハルト体制下で政治家の汚職に慣れた村人にも、限度というものがある。コトダラムの人の話を振り返ると、その限度が踏みにじられたのは、スハルトの息子トミーによる国産自動車プロジェクトであったように思う。スハルトの側近が悪いから、と、以前はスハルトを弁護していた村人さえ、自動車製造にまったく無経験なトミーの非現実的な大プロジェクトの認可は、スハルトの親バカ、依怙贔屓としか映らなかった。昨年10月に訪れた村では、20年近く実力者であり続けた村長への批判が始まり、ジャカルタの中国系資本に農園用にとられた森林への補償を求めて、郡庁へのデモが実行されていた。金融危機の初期にゴム価の高騰で潤った村も、わたしの訪問時にはゴム価が下落局面に入り、あきらかに経済的困難に突き進んでいた。村でみたテレビのニュースでは、ジャカルタの学生デモが報じられ、画面には重装備の機動隊が棍棒をもった学生に追い回される場面が映し出されていた。インドネシアの政治もコトダラムの経済も、先行きが暗いとの印象だった。

郡庁前にデモのために集まった村人。レフォルマシ〈改革〉以前には考えることのできなかった光景である

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