ASAFAS 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
インターネット連続講座
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  第六回 「〈開発〉という体験 スマトラの村の歴史から
東南アジア地域研究専攻 加藤剛(地域進化論講座)
 
 

Contents

1. 〈開発〉というもの

2. コトダラム村

3. 好きやねん

4. 〈真昼の闇〉と20世紀の始まり

5. 「年寄りも若返ったとき」

6. 〈クーポン時代〉のヒーローたち

7. イスラーム知識人の誕生

8. 公のために

9. スカルノのインドネシア

10. スハルト開発体制と村落

11. 消費される開発

12. 宴のあとに

13. 〈地域研究〉ということ

  

11.消費される開発


 
開発を政権基盤に据えたスハルト体制では、プンバングナン〈開発〉がしきりと口にされた。五カ年開発計画、開発内閣はその顕著な例である。どのように成果があがろうとも、30年も同じことを唱えていれば、開発はスローガンとしても実態としても、金属疲労を起こし、中から腐っていかざるをえない。経常化された開発予算と開発プロジェクトは、担当者にとっては毎年予算を消化するルーティンな仕事となり、権益をもつ者にとっては、途中でつまみ食いをする対象へと転化する。指導する者も、指導される者も、もはや「公のために」といった高邁な理想を指導者に重ね合わせて考えることはない。〈指導者〉プミンピンという言葉さえ、スハルト体制下では廃れてしまった。かわりによく耳にするのは、大統領、大臣、州知事、県知事、郡長、村長といった職階名であり、許認可権ないし権益配分の階梯である。開発プロジェクトはといえば、五年ごとの総選挙のタイミングに合わせ、与党組織ゴルカルが選挙で勝利するため、村レベルにまで配分される消費財となった。毎年の村落開発援助資金のため、勤労奉仕を動員することは難しく、いまやプロジェクト遂行のため、村長は村人に労賃を払うことまでしている。

選挙対策のためなのだろう、1980年代半ばにつくられた村の灌漑用水路。稲作よりは、村人の水浴の役に立っていそうである。

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