ASAFAS 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
インターネット連続講座
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  第六回 「〈開発〉という体験 スマトラの村の歴史から
東南アジア地域研究専攻 加藤剛(地域進化論講座)
 
 

Contents

1. 〈開発〉というもの

2. コトダラム村

3. 好きやねん

4. 〈真昼の闇〉と20世紀の始まり

5. 「年寄りも若返ったとき」

6. 〈クーポン時代〉のヒーローたち

7. イスラーム知識人の誕生

8. 公のために

9. スカルノのインドネシア

10. スハルト開発体制と村落

11. 消費される開発

12. 宴のあとに

13. 〈地域研究〉ということ

  

10.スハルト開発体制と村落


 
共産主義の駆逐、民主主義の証としての5年ごとの総選挙、外資導入による開発などを明示的な政策として、スハルト体制が出発するのは1967年のことである。1969年には、スハルト体制下での最初の五カ年開発計画が始まった。村落開発援助資金が支給されるようになるのも、1969年のことである。これは、国内の各行政村に同一額の開発援助資金を毎年支給するもので、村長を頭とする村の指導者が村内開発のための資金用途を定め、村人の勤労奉仕、補足資材・補足資金提供のもと、支給金額よりも大きな開発の実を、村レベルのイニシアチブのもとに実現しようとするものである。1970年代、80年代をつうじて、このプロジェクトは実際に村レベルで大きな成果をあげている。コトダラムでいえば、雨期には泥濘と化す村内の小道が、このプロジェクトによって順次コンクリートで舗装された。

スハルト時代には、課外活動の一環として大学生が村に数カ月送り込まれたが、彼らにとっての開発の一表現は、村の小道に名前をつけ、道路標識をたてることだった。

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