ASAFAS 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
インターネット連続講座
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  第六回 「〈開発〉という体験 スマトラの村の歴史から
東南アジア地域研究専攻 加藤剛(地域進化論講座)
 
 

Contents

1. 〈開発〉というもの

2. コトダラム村

3. 好きやねん

4. 〈真昼の闇〉と20世紀の始まり

5. 「年寄りも若返ったとき」

6. 〈クーポン時代〉のヒーローたち

7. イスラーム知識人の誕生

8. 公のために

9. スカルノのインドネシア

10. スハルト開発体制と村落

11. 消費される開発

12. 宴のあとに

13. 〈地域研究〉ということ

  

9.スカルノのインドネシア


 
1945年8月の日本の敗戦後、インドネシアは独立を宣言するが、実質的な独立は、オランダとの戦争を戦ったのちの1949年12月のことである。その後、1966年までのスカルノ時代をとおして、〈建設〉(プンバングナン)が何回となく政権によって口にされた。しかし、政治・経済的な混迷もあって、建設の実が末端の村にまで届くことはなかった。建設は、政治的モニュメントや大競技場のように、首都ジャカルタに集中したのである。コトダラムでは、この時代、イスラーム知識人であった村長の指導のもと、いくつかの「公共事業」が遂行されている。老巧化した屋根付き橋の架け替えや、村内の三日月湖の大々的な清掃作業である。政府援助の欠如にもかかわらず、これらの事業が可能だったのは、住民のゴトン・ロヨン、相互扶助、より正確には勤労奉仕があったからである。指導者とはどのような人であるべきか、公のためとは、についての了解が、村長や村人のあいだで共有されていたからこそ、国家権力の強制力がなくとも、勤労奉仕を動員することができたといえよう。

スカルノ時代の建設を代表するジャカルタのモニュメン・ナショナル、独立記念塔。

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